「歴史に真実はない」   

2007年 06月 28日

<従軍慰安婦>対日謝罪要求決議案を可決 米下院外交委

私個人としては、このブログでも幾度か取り上げたとおり、俗に言われるような
従軍慰安婦という問題は存在していないと考えています。
大戦期の慰安婦は一つの私娼団に近く、一部の者が中心となって多くの娼婦を組織し、
それを軍に斡旋する形で成立していた一つの金策であった。しかし実際に白首となる
女性達はその背景を知らなかったために、今日のような慰安婦訴訟が発生している――
と、これが私の考える慰安婦の実態。
数年前趣味にかられて資料を漁った結果の物ですが、狭小ながらその見聞の中では、
それが最もしっくりくるのではと思っています。
自分で言うのも何ですが、割と普遍的に論じられる説でもあります。

が、それもあくまで一つの考えにすぎないわけで。

結局歴史とはおしなべて、確証的な真実は誰にも言えないのです。
米国のこの議案を批判するのは勝手ですが、彼らは少なくとも私達のような素人よりは
確実に研究を重ねている筈。
結句、歴史論の土俵上では、今の日本人と朝鮮・中国人はせいぜい同じ穴の狢です。
結論ありきの意見で喧嘩と自己陶酔を繰り返すだけ。

確かな真実にはもう誰も辿り着けないのに、むしろ辿り着けないが故に、
主張が食い違うときでも、どちらかが必ず嘘をついているとは限らないのです。
一つの事柄を左から見るのと右から見るのとでは、形が違うことだってある。
例えば私の先述の考えにしても、独自で拐かしをした阿呆な軍幹部もいたのではないかと
問われれば答えられない。それに遭った女性がいれば、彼女から見て、強制連行されたという
言い分も真実になる。
今ここに人の数だけ有耶無耶な真実があるのだから、攻撃も防御も不毛なのです。

従軍慰安婦という問題を論じるについて、忘れてはならないのは二つ。
一つは、吉田証言を出自とする資料や「慰安婦」という言葉の出現時期、或いは訴訟件数の
実情など、一般的な認識の中に被害者寄りの誤解や誤謬が多く紛れ込んでいること。
史料が刻一刻と変化していること。メディアがあてにならないこと。
そしてもう一つは、一般論として、「あった」ことを証明するよりも「なかった」ことを証明する方が
遙かに難しいということ。
せめて議論の折は、必ずこの二つだけは念頭に置いておきたいところです。

少なくとも、小林よしのりや嫌韓流やウィキペディアで得たことは知識・論拠たり得ません。
あれらをバイブルのように読んでそれで知った気になってしまう人は、一番タチが悪い。
傷つけた行為が無くても傷つく人はいる、傷ついた人がいても傷つけようとした人がいたとは
限らない、それが現実の社会。
間違い探しではなく、まずは色んな言葉に耳を塞がないのが一番の基本。
常に新たな情報に敏感でいることが、問題を論じる資格に繋がる筈です。
[PR]

by taoyao | 2007-06-28 00:00 | ニュース

<< 高山さんと岸さんだけでもお腹い... 日本的感覚との乖離 >>