遺された者の責任   

2006年 10月 15日

件の福岡県でのイジメ自殺事件ですが、今度は教師が槍玉に挙がっているそうです。
なんでも教師がからかったような「イジメ発言」を重ねていて、それが発端となって
生徒間でのイジメに発展したと。

……といったあたりが記事の趣旨です。私としては、これにちょっと苦言を呈したい。
今更になって、いじめの原因なんて本当に掴めるんですかね?
もっと言えば、掴んだところで誰か救われるんですか?
自殺した子を本当に想うなら、すべき事はもっと他にあるだろう……と私は思うんですが。

この教師の資質は知りません。ですが私が子供の頃にだって、生徒と同じ感覚で
からかい混じりのお喋りに興じる先生は沢山いました。
その善悪は別として、そこにいじめの原因となることが生じたって何ら不思議ではない。
何となれば、いじめなんて往々にして些細なことがきっかけになってるものです。
その人の悪意の有無にかかわらずね。
(さすがに今回の事例は少々度が過ぎているようですが)

この間別のいじめ自殺に関する日記でも書きましたが、いじめ問題で本当に大切なのは
どこでいじめられている生徒を救うかです。
救わねばならなかった生徒がこうなった今となっては、そもそも全て手遅れなんです。
それなのにまして原因が何だっただの、誰だったかだの、それを追及することに
一体どれだけの価値があるんですか。
また同じ、憎しみや苦しみの温床を作り出すつもりですか。

例えば教室で人知れず花瓶が割れていて、お前がやっただの俺は知らないだの、
誰が教室を最後に出たかだのと諍いになった。そんな時教師は、一体何をしたか?
私の子供の頃なら、教師はまず醜い責任の押し付け合いを諫めたはずです。
誰がやったかは関係ない、無闇に人を疑うような真似は見苦しいから止めなさい――
教師の一言目は、まず違わずそれだった。
今だって道徳の授業で、飽きるほどそう教えているはずですよ。



自殺した子が浮かばれるように、なんて歯の浮くような綺麗事を飾る気はありません。
仮にも教師たる者が自省もなくいじめ行為に左袒していたこと、それを取り立てて
擁護しようとも思いません。
でもここで内情を引っ掻き回して犯人捜しのような作業に興じたところで、
誰かが救われるともまた思えないんです。
自殺するほど苦しんだ子が、もしもこの状況を知ったらどう思うか……
想像して同情してしまうのは、私だけでしょうか。
本当に彼に責任を感じて手を尽くすなら、遺された者の目はもっと
未来へと向いてなきゃいけないんじゃないですかね。
この教師が何らかの責め苦を負うのはまあ当然としても、それこそ彼が望んだことは、
もっともっと他にあるはずだと私は思います。
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by taoyao | 2006-10-15 00:00 | ニュース

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