人に住まう鬼   

2006年 10月 13日

男性殴殺で手配の男自殺か 岐阜県の山中で首つり


大声を注意されただけで人を殺す、なんてことは、一見相当凶暴で、
人心を何とも思わぬ悪鬼のような人間とも思われます。
が、そんな人は罪を悔いて自殺なんてしません。
真の悪鬼なら、何事もなくお天道様の下を平気で闊歩するものです。

一見凄絶で凶悪な事件に見えますが、こういったことは何も異常者や
並はずれた短気が起こすものでなく、ほんの一時の衝動だと思うんです。
そうなる要因は、人間の誰にしもある。一瞬我を忘れたら、そこに最早歯止めしてくれる
理性はない。それはどんな人間だって同じだと思いますね。

別に性悪説とか性善説とか、ご大層なことを言う気はありません。
ただ、物騒に見える凄惨な事件を犯した者でも中にはこうして、
心のどこかで拭いきれない後悔と罪悪感を抱く人も居ます。
人を殺めたことを悔いて、自ら命を絶ってしまう人。これを優しいと称するのは
あまりに仏心が過ぎるかもしれませんが、かくも優しい人でさえ他人を殺める鬼と
なりうる、と逆転して考えれば、ある意味でこれは恐怖すべき事象だと思いますね。
仏様は鬼となりうるし、鬼もまたどこかで仏となりうる。
人というのはつくづく、明暗二色で分けられるものではないと実感します。

一つの事件への嫌悪感が私の中で、どこか憐憫へと変わった気がした
13日の金曜日でした。



人間って哀しいね、だってみんな優しい
それが傷つけあって 庇いあって     (さだまさし)
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by taoyao | 2006-10-13 23:08 | ニュース

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