少年法が見直されない理由   

2006年 09月 08日

少年法について、また一つ考えるべき事件が起きたみたいです。


私自身は比較的この少年法の問題については慎重派なのですが、
いずれにせよこれだけ問題が紛糾している以上、遠からず手が加えられるのは
避けられないでしょう。
現行段階では、著しくバランス感を欠いていると言わざるを得ません。

少年法の立法趣旨が「少年の更生余地」にあり、また法律上死んだ人間には基本的に
人権が無いという理論も一助を担い、法整備が加害者保護に偏重するのは現状
至極真っ当な傾向ということになるでしょう。
マスコミや世論等ではこの「死んだ人間に~」という考え方そのものを批難する向きも
ありますが、これはもう揺るぎない法的大原則で、軽々しく覆すとあらゆる法体系で
整合性がとれなくなるのであまり軽視すべきではないでしょう。
また、被害者側からすれば唯一の拠り所である感情面も、法議論の前では基本的に
論外と言わざるを得ないものです。

ただ、加害者の人権を守るが故に捜査・逮捕が滞るようならそれは無論本末転倒であり、
この辺が冒頭に記したバランス感の欠如と言う所以であります。今回、山口県警が
少年法(の趣旨)を理由に情報を出し渋ったことで、間違いなく捜査の身の振りは大きく
制約されました。極端な話、もし仮にこの事件がオミヤ入りして時効を迎えたりすれば
原因追及の目がそこに至ることは避けられず、まず現在のシステムは責任・批判を
免れなかったでしょう。
結果的には容疑者の自殺という形で一応のカタが付きましたが、現行少年法の立ち位置を
見直す、一つの大きな契機・端緒として考慮すべき事件だったように思います。

以上から、いずれにせよ少年法の是正は早期に実現されるべき課題だと私は考えます。
但し、少年法がそもそも何故存在しているのか、必ずそこを明らかにしながら
改正を進めて頂きたい。
こういう言い方をするのは卑屈かもしれませんが、感情を抜きにしてドライに法律問題を
考えるのは、我々一般市民(マスコミ・世論)には中々難しいのです。
人情論ではなくあくまで法律論として現行少年法の問題点を見直して行かれることを、
諸々の法律家先生方には切に期待します。
(とはいえ、感情を汲み入れて法律に反映してゆくのも彼らの仕事なんですが……)



ちなみに、これだけマスコミが問題点を糾弾する少年法がなぜ改正に着手されないのか、
その慎重論を支える一因には取りも直さず、マスコミ自身の責任があるように思うんです。
「報道の自由」「知る権利」を標榜すればある程度裁量幅が認められる、その事を「カサ」に
着るように、とかくマスコミとは暴走しがちなものです。
今朝ズームイン朝で辛坊さんが、「逮捕までは少年法の対象ではないのだから、
それまでは本来実名報道でも構わないのだ」みたいな言い方をされましたが、
その理屈が通用しなくなっている最大の原因は、逮捕で即犯人扱いをするマスコミ自身
なのです。
いくら報道と捜査が実質的に持ちつ持たれつの関係にあると言っても、そこまで都合良く
独善的な理論を展開しないで頂きたい。世論が待ち望む少年法の改正には、マスコミの
体質改善という協力も不可欠です。

結局何より少年法の改正を阻んでいるのは、現実と理想の絶望的な乖離にある、と
こう言っても恐らく過言ではないのでしょう。
まだまだ時間を要しそうな、そんな気配を感じずにはいられません。





最後に、悪法もまた法なり、という言葉がある通りですから、週刊新潮のこの行動は
基本的に許されないということだけは明らかにしておきます。
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by taoyao | 2006-09-08 08:08 | ニュース

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