じん肺訴訟判決考察   

2006年 07月 13日

国に賠償命令 九州じん肺訴訟

先日の東京地裁に次いで、熊本地裁でも住民側勝訴の判決が出ました。
今回は自己確認も兼ねて、この訴訟を少し深めに追究してみます。
たまには法学部生らしい記事も書かないとね。

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これらの裁判で問題となっているのが、「規制権限の不行使」という言葉。
今回の訴訟は所謂「国家賠償訴訟」であり、その根拠条文は国歌賠償法に
求めることが出来ます。同法1条1項には、「公権力の行使に当たる公務員が、
故意又は過失によつて違法に他人に損害を加えたとき」に国が損害賠償義務を負うと
定められていまして、今回のような訴訟は大概この規定に基づいてなされます。

ところが今回のような、労働災害に対する何らかの規制法の制定を怠るということが
「公権力の行使における過失」と当てはめられるかというのが、入り口論として一つ
大きな問題点となります。
感情としては「国が手を抜いたから労働災害が起きた、当然国のせいだ!」となるのですが、
実際の法律論ではそこまで簡単にいきません。
国民の生命身体に危害が及んでいることはもちろんとして、今回のような公害を予測
出来たかどうか、予測出来たところで法令施行などによって回避出来たかどうか、
行政が手を打つ以外手段がなかったかどうか、国民が行政の規制に期待していたかどうか
など、様々な点から判断されることになります。

そしてそれらの要素を突き詰めていくと、究極的には「行政が何もしなかったというのが、
どうして違法な行為だと言えるのか」という論点に行き当たります。
ここからは法律論特有の言葉尻論に突入してくるのですが、これについての考え方が
二つあります。一つは「国は規制をしなければいけなかった」という考え方、もう一つが
「国が規制をしなかったのは、いわばマイナス方向の権利濫用であった」という考え方。
前者が「裁量権零収縮説」、後者が「裁量権消極的濫用説」と区別されています。
字面で少しイメージが湧く方もおられるかと思います。

話が大きく遠回りしていますが、冒頭の「規制権限の不行使」という言葉に立ち返りたい。
今回の場合における「規制権限の不行使」とは、言わずもがな法律を定めて労働者を守る
ということをしなかったことを指していますが、先ほどの二説に照らすとつまり「ルール作りを
しなければいけなかったんだよ」という理屈と、「ルール作りをしないという選択もあったけど、
それは権利を行使しなさすぎだよ」という理屈が対立することになります。
ではこの二説で何処が違うのかと言うことになりますが……ここまで長々と話をしてきて
何ですが、実は説明方法の違い程度だという説もありまして(w、実際の所大差はほとんど
ありません。ただ印象からも分かると思いますが、「義務だったのに」とする説の方が、
やや強い縛りを国家に与えているとも解せます。とはいえ、やはりその程度の違いです。

さて、大差のない説をどうしてここまで突き詰めなければいけないのか……
法を学ぶ者としてもいささか非生産的だとは思うのですが、結局おろそかに出来ないから
こういう学説争いが起きるのです。というのも、あれもこれもとにかく国の責任だ、と乱暴に
取り扱おうとすると、それこそ猫も杓子も全て国が悪いんだという論に帰結しかねません。
国が責任を負うケースというのは、固まった法律解釈や判例でしっかり画一的かつ厳格に
規定しておく必要があるんです。
つまりこの考えの意義は、国に対する損害賠償請求を先述の国家賠償法の条文に
当てはめる上で、「何かをしでかして損害を与える」ことのみならず、今回のような
「何かをしなかったこと」で損害を与えた場合も国の責任に帰するんだよ、
という理屈を証明するプロセスである、という訳です。
こういう思考プロセスを裁判所が経ているからこそ、今回の事件が国家賠償を求める
裁判の俎上に上げられることになるのです。



さて、入り口論だけで随分と長々と話を展開してきましたが、実は行政法上の要点は
これでほぼ終わりとなりまして、以降は民法の不法行為法規定に基づくお話となります。
不法行為に基づく損害賠償請求をするにはいくつか条件があり、そのうちの一つが
「損害と不法行為の相当因果関係」、つまり「原因と結果の関係」があること、というのが
あります。
今回熊本地裁が判示したところによれば、「散水措置や~の確保」の60年4月というのを
始め、3つの年月を挙げていますが、つまりこの時点から実際の法律制定までの期間が
「国の不法行為」であり、この期間に病気の原因を被った人でないと、国に対する賠償は
請求出来ないということになります。ああ、ようやく根幹に関わるところまで来ましたよ(w

さらに、不法行為に基づく損害賠償請求にも時効制限があります。民法724条によれば、
損害を知った時から3年、当該不法行為があった時から20年と定めています。
入り口論ではない主要問題点となるのが実はここで(これも入り口といえば入り口ですが)、
実際この手の公害・労働災害訴訟では時効によって涙を飲む人が少なくありません。
しかも、そもそも法律を作らなかったという不法行為に対して「損害を知った時」だの
「不法行為があった時」だのと、些か荒唐無稽なアプローチにも見えます。
こうなると六法に載っている条文では解釈しきれないため、裁判ではこういう場合先例、
いわゆる「判例」に倣うことになります。
そして、これについて先例を示した判例が実際にあり、それが平成16年4月27日に
最高裁でなされた判例、俗に言う「筑豊じん肺訴訟」の最高裁判決なのです。
最高裁ではこの判決の判決文中で、「加害行為終了後に損害が発生する場合は、
当該損害の一部でも発現した時をもって起算点とする
」と述べています。
今回の判例も、当然これに則ったものでしょう。まだ判決後1日しか経っていない以上
残念ながら判決文を見られないので断言は出来ませんが、じん肺を引き起こす原因
行為から、実際に病気が発現するまでの時間を専門家が割り出し、原因行為時点に
その期間を上乗せする形で起算点を弾き出しているものと思われます。
こういった公害問題・労働災害問題は、多くの場合において病気の原因究明までに時間が
かかること、また原因の行為から病状発現までにも時間がかかる(いわゆる潜伏期間)
ことから、ここまで述べてきたとおり「いつから不法と言える段階に突入したのか」とか
「いつ時効のカウントダウンが始まるのか」が非常に不明確なことが多いのです。
従って、これらの判断の多くについて、最高裁が判例を元に判断してゆくこととなるのです。

なお本件において、国側は724条前段の規定「不法行為を知った時から3年で時効」という
点を主張しましたが、これについては先述の筑豊じん肺訴訟の高裁判決後に
本裁判の原告住民が弁護士から助言を受けた時点を起算点とするとし、3年の時効に
かからないと最高裁が判断したことを最後に附記しておきます。



行政訴訟、特に国家賠償訴訟はこのように、実際の事実判断よりも法律上のルールに
照らした入り口論に終始することが多く、実際事実判断まで行く前に訴訟却下という形で
決着してしまうケースも少なくありません。
しかし今回のケースのように、きっちり裁判を起こして戦えば確実に国の責任を問う
チャンスを得ることが出来ます。先述の筑豊じん肺訴訟、また平成16年10月15日の
関西水俣病訴訟判決など、国の規制権限不行使を巡る訴訟で原告側が勝訴する
最高裁判例も多くなりました。
本判決、また5日前の東京地裁でのじん肺訴訟に対する同様の判決といい、
行政の責任認定という先鞭をつける判例がこうして数多く登場しています。
こうした判決が積み重なることで、改めて公害・労働災害における国の責任基準が
浮き彫りにされ、様々な形で国と闘う全国の各国家賠償訴訟の原告団に明瞭な希望を
与えられるのではないでしょうか。


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以上、長文にお付き合い頂きどうも有り難うございました。
最後になりましたが、私はあくまでただの一学生であり、専門家ではありません。
また本事件の判決原文を読んでいないため、この記事中において本判決に対し誤った
認識をとっている可能性も充分にあります。
あくまでも話半分でお読み下さいませ。
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by taoyao | 2006-07-13 00:00 | ニュース

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