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どうなる日本の教育と教師 第二部   

2006年 03月 07日

 昨日提起した問題点を踏まえて、私の考えを述べていきましょう。
マンドクセな方は、最後の★☆で囲った部分だけでも。



 結論から言うと、親に言われたものであろうが子供が自己判断していようが、
学校は子供の言い分を守ってやるべきだと思います。つまり、強制反対です。
 子供の自主性を認めることについては、先述の通り多大なる危険性を孕むのですが、
学校側が未熟とはいえ子供の思想を打ち破って強制していく姿勢になれば、それはやはり
教育という範囲を逸脱し、好ましくない。

 結局のところ、他人の子供は他人です。どの他人の思想も、押しつけられるべきではない。
その代わりそうやって小学校段階から子供の自主性を尊重するなら、学校や家庭で十分に
勉強させてあげなければいけない。国旗や国家という制度、それを卒業式で強制することに
どういう意味があるのか、賛成・反対双方の意見や考え方をきっちり教え込み、その上で
子供に判断させなければいけない。

 勿論そうやって「両方の意見を教えよ」と言っても、その子供の親や教師の思想に
多少なりとも染められることになるでしょう。ですが、他人の子供は放っておけばいい。
 お年玉の比喩を引っ張り出しましたが、他人の子供にまで文句を付ける義理はないし、
付けられる筋合いもない。それよりも自分の子供をどれだけ正しい環境で教え、どれだけ
子供の純粋な「自主判断」を引き出せるか、そこに集中しなければいけない。

 自分の子供には、きっちり功罪両方の材料を与えてあげること。そしてしっかり、子供の
思考に付き合ってあげること。そして何より、その結果子供が自分と違う思想を持って
しまっても、それを変えようとしないこと。それが、自主性を重んじるという道を採る為の
絶対の条件です。

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 軍国教育の再興を促すかどうか、これについては人によって分かれるモノであり何とも
言いようがありません。
 子供が判断することだという意見もあるが、十分な判断力がないから私が守るわ!と
真っ赤に染まった団塊オバチャン共がマイジャスティスをこれでもかと押しつける悪状況に
なっては、もとより親子間に談論風発の余地もないという事態になってしまいます。

 私個人の意見としては、君が代を強制斉唱させることが、天皇礼賛を実現する行為だとは
思いません。過去に天皇礼賛の象徴として大いに利用されたのも事実ですが、今の世の中で
そういう意味で使われている歌ではない以上、君が代は単純に「国歌」として扱うべきだと
思うからです。
 子供にそんな歌詞を口にさせることが悪影響だ、だから強制反対!などと言う、これは
頭の悪い親の戯れ言です。子供に悪影響な番組だから打ち切って欲しい、とTV局に
頼み込むバカ親と同じ理屈ですね。自分は教育監督能力がないですよ~と断言している
ようなモノです。
 君が代が悪影響だと思うなら、親自身がケアすればいい。君が代は誰が何と言おうと
今の法律ではあくまで国歌なのですから、学校が止めさせられるべきモノではない。
学校は国の機関として国歌を斉唱させ、思想的なケアは教室や家庭でやればいいことです。

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 最後にもう一つ。ここからは強制の是非ではなく、それに対する教師について。
むしろこの議論に対する一番大事な論点です。


 今まで論じたとおり、君が代斉唱に反対するしないは子供の自由意志。
しかし間違えてはいけないことがある。先生の場合は話が別ということです。

 近年増加しているのが、君が代斉唱時の不起立。それに対する教育委員会からの処分を
論拠に、斉唱の強制だ何だと反対派の教師達が大騒ぎしています。
はい、これ典型的なバカ教師です。

 教師というのは、自分たちの思想信条に基づく行動の前に、集団社会での行動
子供に見せる役割を負っています。いかに自分が君が代嫌いであれ、集団社会の中で
決められた行動を守らないことが許される訳がない。
 どこかのホームルームあたりで、「私は君が代斉唱に反対しています」と一授業ぶって
子供達に国旗国歌問題を考えさせる、これは別に構わないでしょう(但し強制はNGよ)。
しかし、卒業式で不起立抗議を行う。この姿は子供達にとって、「思想を守り抜く勇敢な」
姿なのでしょうか?答えはNoです。
 どうして不起立で処分されるのか。それは、君が代斉唱強制に違反したからではない。
当然守るべき集団行動を乱したから処分されるのです。要するに、遠足先で
先生だけ勝手に単独行動してたら処分される、それと全く違わないのです。

要するに端的に言えば、子供に背を見せるべき先生が、気に入らないから席を立たねえ!
って、実にガキっぽいよ、ってことなんです。
抗議するにしても、もっと大人の対応というものがありますよね?


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 以上を総合し、最後に私の考えをまとめましょう。

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君が代は、制度として子供達に強制されるべきではない。たとえどんな親や教師に
教えられて育とうと、子供達の思想は思想。教育の中で強制されるモノではない。
最低限自分の子供の思想だけ、親が一緒に考えてあげて、子供の自主判断を
助けてあげればいい。但し、それに対して不起立などという集団行動を乱すことを
するのは、別の面で非常識であり許されないことである。従って不起立で抗議する
先生は、処分されて当然なのである。
体面だけでも君が代くらいは歌っておけ。本当に自信を持って国旗国歌制度に
反対するなら、その程度のことで信条は揺らがないはずだ。
建て前と本音を使い分ける妥協も、社会では必要である。
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 これが私の意見です。
この問題は非常にデリケートであり、短文でポンポンと書くだけではどうしても
論として破綻を来すことになるので、今回のように文字数にして原稿用紙12枚分の
大作となってしまいました。
 やはり何より、親が思想を強制してもダメ、子供の未熟な知識で完全に自己判断させるのも
危険という両方のデメリットがある以上、非常に選択肢が難しいのです。その点については、
またいずれ後日書くかもしれません。

 余談ですが以前大学のイベントで、『不起立で処分を受けた。でも負けない、
私は内心の自由を守る!』と武勇伝のように講演しに来た神奈川の教師を、
最後の「教師の役割は~」の論調で(傍で意見の合った聴衆の方と二人で協力して)
講演中にコテンパに言い負かすという若気の至りをやらかしたことがあってw、
その時の快感がよみがえり、この話題になると筆が止まらなくなってしまいます。



 改めて長い文章になりましたが、御読了ありがとうございました。

by taoyao | 2006-03-07 15:24

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